2009年11月28日土曜日

犠牲祭

كل عام و انتم بحير



明けましておめでとう 良い年でありますように



犠牲祭です
3日間の犠牲祭

初日 マアンのあたしの家族の家にいつもどおり朝から行きました。

「おはようあかね!! ここみて!!」

はい。羊さんです。

親戚が来るのをまって、

犠牲祭

アッラーへのささげもの
ビスミッラー

お姉ちゃんのだんなさんがなれた手つきで、きれいにドンドンとさばいていきます
ビスミッラー
妹は、途中で嘔吐・・・アルハムドリラ・・・初めてみたら、普通かも

ものの1時間ほどで

羊さんが肉の塊になりました。

昨年に引き続き、見せていただきました。
昨年のような新鮮さと気持ち悪さはなく、淡々と行程を見て、さらにムービーで撮影して
近距離で一部始終を見ていました。

さっきまで生きてた羊が肉の塊になる

生きてるものを食べていることをこの目で見れる

ヨルダンにいると、そのことをちゃんと【目で見れる】
ありがたいことです。
羊だって、鶏だって、牛だって、らくだだって  
その生きている姿が生活空間にあり、目の前に食べ物として出てくる
ありがたいな。
生を食べて、生きている自分
昔の日本もそうだったはずです。 
生活と生つながっていたはずです。


さて、この羊、ちゃんと分けるのです。
自分の家、親族、そして貧しい人
分けました。
そして、
この内臓たちは・・・・・

すぐに料理してくれて、夕ごはんにみんなで頂きました。
はい。とっても美味しかったです。
ご馳走様でした。


ところで、途中で嘔吐した妹は、かわいそうで食べれないといって、どっかにいっちゃいました。
はじめてみたのなら仕方ないことでしょう。
それが、当たり前かもしれない。
こういうのも体験して、自分で見てみるのが良いのだと思うわけです。
衝撃的過ぎるから見せないんじゃなくて
大事な命の教育だと思うのです。
それを見て、感じることは人それぞれ
日本て少し変わってるのかもしれない。



今年も良い体験をさせてもらったな。


毎日が体験学習



ありがとう



明日も良い日でありますように

おしまい

1 件のコメント:

ケニャイチロー さんのコメント...

命あるものを食べるっていうのは、人間の「原罪」だよな。生きることと食べることって改めて途上国で感じるよなあ。